ステージ101は昭和45年1月から昭和49年3月まで放送されていたNHKの音楽バラエティ番組です。
最近、レイト‘60から‘70の音楽が注目を集めていますが、まさにその時代のリアル・タイムな音楽番組が「ステージ101」だったのです
テレビの音楽番組といえば歌謡曲中心だった昭和40年代に、洋楽からオリジナルソングまで幅広く聞かせてくれる貴重な番組として、「ステージ101」は若者の圧倒的な支持を集めました。
そして、 ヤング101のメンバーからは数多くのスターが生まれたのでした。


番組概要
東洋一を誇る1000平方メートルのNHK101スタジオで男女約40名のヤング101のメンバーが繰り広げる、歌あり踊りありのショー番組で、 看板スター不在という大きなハンデを背負いながらも、最盛期には20パーセント近い視聴率を集め、4年間で20枚以上の関連アルバムが制作された。

放送開始まで

そもそも「ステージ101」は、初代チーフディレクター末盛憲彦氏がアメリカの番組制作現場を見学した際に出会った、ヤング・アメリカンズアップ・ウイズ・ピープルという、ふたつの歌って踊れるグループを見て、この日本版をやろうと思いついたのがきっかけ。
折しも日本ではアップ・ウイズ・ピープルの日本版ともいうべきグループ「レッツ・ゴー」(のちのシング・アウト)が登場していた。この「レッツ・ゴー」が末盛氏の目に留まり、「レッツ・ゴー」のなかのピック・アップ・メンバーをもとにヤング101の人選が始められた。

69年4月から、数度に渡る厳しいオーディションでメンバーが集められたが、女性メンバーの殆どが4月に揃っていたのに対し、男性は黒沢裕一ぐらいで、その後に加えていくという形になった。(例えば串田アキラは東芝からの推薦でオーディションも無く本放送近くになって参加しているし、ザ・バロンも最初のオーディションでは落ちているが、後に採用されたというように。)

こうしてメンバーを集めながら69年6月頃から和田昭治、中川久美(振付)でレッスンを開始、番組が始まる70年1月まで、週4日のレッスンが続けられたのだった。

尚、その間に「第1回合歓ポピュラー・コンテスト」にシング・アウトが参加、番組の代名詞ともいえる、かぜ耕士作詞、中村八大作曲の名曲『涙をこえて』でグランプリを受賞している。
シング・アウトの項参照

放送開始

初めてヤング101がブラウン管に登場したのは昭和44年11月3日。渥美清・三波春夫らをゲストに迎え、パイロット版が放送された。
そして、本放送を翌日に控えた昭和44年12月31日、NHKの国民的番組「紅白歌合戦」の応援団として登場したヤング101は和田昭治作曲の「ジャンケン仲間」を披露したのだった。
こうした事柄から、NHKが、いかに「ステージ101」と言う番組に、並々ならぬ意欲を燃やしていたのかを伺い知ることができる。

明けて昭和45年1月1日、ステージ101第一回目が正式にスタート。ビルをバックに歌い踊る「ダンス天国」やビートルズの
「I want you」にあわせて踊るヤングの映像は、当時の若者に新しさを感じさせる、まさに音楽的事件だった。

放送時間

番組開始当時は毎週土曜日の夜8時から放送されていたが、翌46年の4月から生放送となり、放送時間も水曜日に移る。若者の絶大な支持を得て、47年4月からは毎週日曜日の夜7時20分、ゴールデンタイムの放送となる。その後、日曜日の夜6時からの放送となり、この枠が「レッッゴーヤング」に引き継がれることになるのだが、番組のコンセプトは全く異なる。(唯一、ヤング101が着用したと思われるユニフォームを使いまわしているのを見られるのが笑えます。)

出演者の変遷

番組の司会は初代−関口宏、二代目−黒柳徹子、三代目−マイク真木・前田美波里(この時は夫婦だった)、その後はヤング自身が進行役を務めるようになる。なんと、当時の黒柳徹子はミニスカートにロングブーツというスタイルだった。
一方、司会者同様、番組の中心となるヤング101も何度かメンバーチェンジを行っている。

番組の魅力


第1回の放送に感激してオーディションを受けてメンバーとなった田中星児は、昭和41年にNHKの軽音楽オーディションを1回でパスした経験を持っています。また、若子内悦郎は勝ち抜きエレキ合戦、エレキトーナメントショーで5週勝ち抜きの経験を持っている。その他、メンバーには宝塚出身者、スクールメイツ出身者など本格的な歌と踊りのトレーニングを積んできた者が多いのが特徴。

なんといっても素晴らしいのはダイナミックな群舞、ハーモニーの素晴らしさなど、個人の魅力というより、集団の若さで売っていたのが他の番組ではみられない魅力だった。

ゲストの魅力
ゲスト無しではとても持つまいと思われていた番組開始間もない時期には、美空ひばり、加山雄三、沢田研二といったビッグ・ネームが次々に登場、GSぎらいのNHKが沢田研二をゲストに招いたのは、彼のアーティストとしての才能を評価したからだと若者のあいだで評判となる。
その後、暫くゲストなしの時期を経て、再び登場するゲストはキャロルモップス渡辺貞夫など個性派揃いの面々でした。73年に出演した石川県のローカル・バンド「めんたんぴん」はこの番組をきっかけに、一躍全国区のバンドとして注目を集めたのだった。

「ステージ101」は放送日を含め、週4日を番組制作に充てていた。毎週土曜日に稽古、放送日の日曜日に本番前のリハーサル、さらに通し稽古が行われて本番を迎えるというほど力の入れよう。それに歌とダンスの激しいレッスンがこれに加わり、あの迫力ある生放送となっていたのだった。ブラウン管からは窺い知ることが出来ない、ていねいな番組制作があったからこそ、ステージ101にはホンモノの味があったのである。

*この頁を作成するにあたり、掲示板に投稿された橋本恵一氏の日記を参考にさせていただきました

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